穴師
泉穴師神社
- 所在 :豊中町1丁目1番1号
- 御祭神:天忍穂耳尊、栲幡千々姫命
鎮座1350年 泉穴師神社
泉穴師神社は天武天皇白鳳元年(672)の創建と伝えられており、今年が鎮座1350年の節目の年に当たります。
泉穴師神社は天武天皇白鳳元年(672)の創建と伝えられており、今年が鎮座1350年の節目の年に当たります。
昔の海岸から神社までまっすぐに道がのびており、古代に栄えた港(小津の泊)とつながる地域の有力な神社であったと考えられています。中世には和泉五社の二ノ宮とされ崇敬されました。江戸時代には領主である大和小泉藩片桐家の庇護をうけています。
祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)の夫婦二柱の大神様をお祀りしています。天忍穂耳命は皇室の御祖先神で天照大御神の御子神であり、栲幡千々姫命は織物の神であることから、繊維産業の盛んな泉大津市では厚い信仰を集めています。
本殿・摂社住吉神社本殿・摂社春日神社本殿は重要文化財に指定されています。なかでも住吉神社本殿は文永10年(1273)の建立で、府内最古の神社建築といわれています。本殿及び摂社春日神社本殿は慶長7年(1602)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改築を行ったものです。拝殿も慶長の建立で、その前に立つ二基の石鳥居とともに市指定有形文化財です。他にも83体にもなる神像を所蔵しており、内8体が明治32年に旧国宝に指定され、昭和25年に重要文化財になりました。平成28年に府指定文化財に指定されていた残り75体のうち72体が統合される形で追加指定され、男神44体、女神36体、合わせて80体が重要文化財になりました。
歴代の天皇からの崇敬も厚く、孝謙天皇・村上天皇・崇徳天皇の綸旨を賜り、武家では織田信長公より社領安堵の朱印状や、元弘元年(1331)楠木正成公が挙兵にあたり国家安寧武運長久を祈り石灯篭を奉献されています。
祭礼では毎年4月5日に春季大祭として献花・献茶、並びに神賑行事として餅まき・神楽・舞楽等を行っています。10月の秋季大祭では天平の昔が起源とされる「飯ノ山神事」が現在も執行しており、他4台のだんじりの宮入後、神輿渡御に供奉しています。
神社には豊かな杜がひろがり、この景観は江戸時代から大きな変化はなく、往時の姿を色濃くとどめています。杜にはたかさ20~33mに達するクスノキが12本あり、これらクスノキ大木群は市指定天然記念物に指定されていますが、平成30年9月4日に通過した台風21号の影響により、うち1本が倒れました。
歴史・みどころ
穴師地区では、豊中町、池浦町、我孫子町、板原町の4台が曳行されています。
4町とも平成生まれの新調だんじりとなります。
最大の見所は宵宮の朝6時より各町スタートして、豊中郵便局交差点に集まり穴師神社周回コースを途切れることなく「豊中郵便局」と通称「忠地交差点」の2か所で豪快なやりまわしが見られます。
特に郵便局方面の広い道路から、穴師小学校方面に曲がる狭い路地へのやりまわしは、参加者でも毎回緊張が走り見応えがあります。
本宮は午後0時30分から宮本の豊中より宮入が行われます。その後、泉穴師神社に古くから伝わる「飯之山神事」が執り行われます。飯之山地車は他のだんじりとは異なり、建築的にも興味深いものがありますので、ぜひ一度見に来てみてください!
穴師公園への渡御終了後、午後2時30分より豊中郵便局にて「穴師連合パレード」が行われます。各町のセレモニースタートを皮切りに今年一番のスピード溢れるやりまわしが決まるとギャラリーの歓声が沸き起こります。
また各町の今年の最後のクライマックスを迎える時間帯のやりまわしには、特に力が入るので一見の価値ありです。
本宮夜8時より「我孫子本部前」にて令和4年度穴師秋祭りを締めくくる各町の青年団によるフィナーレが行われます。
曳行MAP
各町紹介
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