濱八町

大津神社

  • 所在:若宮町4番12号
  • 御祭神:息長帯姫命、品陀別命、素戔嗚尊、天照大神、船玉神、菅原道真公

大津神社鎮座の起源は「小津の泊まり」に祀られた小祠であったといわれます。
その後鎌倉時代に八幡大神を勧請し、以来「若宮八幡宮」と称していましたが、明治四十一年に、 宇多神社、神明神社、菅原神社の 三社を合祀し、事代主神社を境内社として合併し、式内粟宮を 境内に移築した際に、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称されました。

「大津(おおつ)」はもともとは 「小津(おづ)」と呼ばれていたようです。
「小津」は、国津・国府津から転じたものといわれ、 和泉国の国府の外港という意味です。
小津の港は、古くから畿内地方における良港として広く知られていたようで、『土佐日記』に、

五日。けふ、からくして、いづみのなだよりをづのとまりをおふ。まつばら、めもはるばるなり。これかれ、くるしければよめるうた、ゆけどなほゆきやられぬはいもがうむをづのうらなるきしのまつばら

と書かれてあり、また、『更級日記』には、

冬なりて上がるに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜雨風、岩もうごく許降りふゞきて、神さへなりてとゞろくに、浪のたちくるをとなひ、風のふきまどひたるさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思(ひ)まどはる。岡の上に舟をひき上げて夜をあかす。雨はやみたれど、風猶ふきて舟出ださず。ゆくもなき岡の上に、五六日と過ぐす。からうじて風いさゝかやみたるほど、舟のすだれまき上げて見わたせば、夕汐たゞみちにみち來るさま、とりもあへず、入江の鶴の、こおしまぬもおかしく見ゆ。くにの人びと集まり來て、「その夜この浦をいでさせ給(ひ)て、石津に着かせ給へらましかば、やがてこの御舟名殘なくなりなまし」などいふ。心細う聞ゆ。

とあります。

土佐日記は承平5年(935)に書かれたもので、この頃までに、「小津」という地名は存在しており、それより約120年後、康平2年(1059)頃、 更級日記が書かれた頃には、すでに「大津」と呼ばれていたことがわかります。
その後、明治22年(1889)町村制により、泉郡(のち泉北郡)大津村となり、 大正4年(1915)に町制を施行し大津町となりました。
また昭和17年(1942)の市制施行では、既に滋賀県に大津市があったために、大津の上に泉州の 「泉」をつけて泉大津市となりました。
このように、大津の名称は変わることなく伝えられてきたのです。


歴史・みどころ

泉大津濱八町は旧・泉北郡大津村に該当し、だんじりの種類は折衷型に分けられる上だんじりで、南海本線西側大津神社を中心に、10月に2日間開催されます。
西之町/下之町/上市/上之町/元町/宮本町/田中町/出屋敷町(大津神社)の八町で行われており、だんじり同士がぶつかり合う「カチアイ」は有名で、祭りの日には、その「かちあい」の迫力見たさに、多くの人が泉大津を訪れます。
また、大抵の上だんじりの鬼板に施される獅子の彫刻は、一般的に獅噛(しがみ)と呼ばれるが、泉大津濱八町では鬼熊(おにくま)と呼ばれています。
1785年(天明5年)、岸和田城下の北町(現在の岸和田市北町)が宇多大津村から大型だんじりを購入したものの城門を潜ることができなかった。これがきっかけとなり、翌年には柱に細工を施しただんじりが岸和田で製作され、岸和田型のだんじり(下だんじり)へ発展して行ったと言われています。

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